- ブルガリアってどんな国?どこにあるの?
- ブルガリアの文化 ーバラとブルガリアワインー
- 9つの世界遺産をもつ歴史ある国
- 長寿伝説の街、ブルガリア、スモーリャン地方
- ブルガリアの食卓
- ブルガリアで、その年初めてヨーグルトを作る日
- ブルガリアの解放記念日
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ブルガリア共和国はヨーロッパの南東部、地中海と黒海の間に突き出た格好のバルカン半島の東部に位置しています。首都のソフィアは北海道の千歳と同緯度にありますが、地中海気候の影響を受けて温暖な気候です。
国土はおよそ11万平方km。日本のおよそ3分の1にあたります。
地形は平原・丘陵・山脈と変化に富んでいます。国の中央部には東西を横断するようにバルカン山脈が連なり、国土の約40%が海抜200~600mの丘陵地帯、約27%が600m以上の山地で、200m以下の低地は約30%ほどにしかなりません。
バルカン半島のなかで特に自然に恵まれているブルガリアは、そのために長い歴史の中で、他民族から独立を侵されることも多くありました。しかしそんな厳しい環境の中でも、独自の文化を誇り高く守り抜いてきた国なのです。
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ブルガリアには世界に知られる産物がいくつかあります。
日本ではヨーグルトがよく知られていますが、ヨーロッパではヨーグルトはもちろん、
バラやワインの産地としても評価されています。
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バルカン山脈のふもとに伸びる「バラの谷」で作られるバラ油は、フランスをはじめとする世界各国に香水の原料として輸出されており、全世界でかなりのシェアを占めています。
5~6月のシーズンには、バラの谷一帯に赤やピンクのバラの花が咲き乱れ、
美しい民族衣装を身につけたバラ摘みの女性達が華やいだ雰囲気を演出します。
バラ祭が開催され、「バラの谷の都」と呼ばれるカザンラクの街には、大勢の観光客が集まってきます。
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4000年以上昔の古代トラキア人の時代から引き継がれてきた伝統的な文化として、ブルガリアワインがあります。ブルガリアでは昔からワイン作りが盛んで、ヨーロッパでは昔から名ワインを産出することで有名でした。
日本では、ワインと言えばフランス、イタリア、ニューワールドワインとも呼ばれる、オーストラリアやチリ、カリフォルニアのワインなどが知られていますが、ヨーロッパを中心に高く評価されているブルガリアワインも、
近年は輸入が増えています。
飲みやすいと評判のブルガリアワインを、一度お試しになってはいかがでしょうか。
ブルガリアヨーグルトの故郷「ブルガリア」、その歴史は古く首都ソフィアはヨーロッパでも最古の都市のひとつに数えられています。豊かな自然と長い歴史に育まれたバルカンの至宝、ブルガリアには多くの世界遺産があります。
黒海に浮かび、ローマ帝国時代の遺跡や5~17世紀の教会を保存している「古代都市ネセバル」や、「カザンラックのトラキア人の墓地」「スヴェシュタリのトラキア人の墓地」は紀元前の古代までその歴史は遡ります。
ヨーロッパ最大規模を誇る彫刻「マダラの騎士像」や、中世の空気を色濃く残すブルガリア正教総本山「リラ修道院」、「ボヤナ教会」「イヴァノヴォの岩窟教会」はブルガリア王国時代の姿を残しています。また「スレバルナ自然保護区」「ピリン国立公園」などの自然遺産は美しいブルガリアの国土を象徴しています。
ブルガリアは他のヨーロッパ諸国同様、複雑な歴史を経てきました。古くは古代ギリシャ、ローマ帝国、ビザンティン帝国から侵略を受け、14世紀後半からは500年もの間、トルコに支配されていたにもかかわらず、独立心を捨てず、独自の文化を守りつづけてきた歴史ある国なのです。
東西の文化の接点であるヨーロッパの東に位置するブルガリアには様々な文化が生まれました。例えば東欧やロシアの言葉に大きな影響を与えたキリル文字の原型が生まれたのは実はブルガリアなのです。
ヨーグルトを食べながら、そんな誇り高き国ブルガリアの歴史に思いを馳せてみるのも
面白いかもしれませんね。
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「免疫食細胞説」でノーベル賞を受賞したメチニコフ博士の発表により、長寿の町と一躍世界の注目を集めたスモーリャン地方。
ブルガリアの南部、ギリシャと国境を接する山岳地帯に位置し、ロドピ山脈とその渓谷を流れる急流が美しい景観を織りなしているこの地方には、80歳以上の老人が多く、100歳以上の人も少なくありません。
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スモーリャン地方に元気なお年寄りが多いのは、ヨーグルトを中心に野菜をふんだんに取り入れた食生活とともに、恵まれた自然環境も長寿の秘訣かもしれません。
また標高1000mの高位盆地に位置し、外交団の招待地に指定されたこともあるスモーリャン地方は、山奥の地方としては著しく整備された街です。
ブルガリアの食卓にはヨーグルトが欠かせないものとなっていますが、特に山岳地方では今でも自家製のヨーグルトが作られており、そのおいしさも有名です。
ブルガリアではヨーグルトは主食の一つとして考えられています。
その脇を固めるのはケバプチェ、キュフテ(肉団子)といった肉料理や、ブルガリア風のシチューであるカワルマー、ケパブなど海外でも評判のブルガリア料理で、その隠し味としてもヨーグルトがふんだんに使われています。
また野菜を多く取るのもブルガリアの食生活の特徴で、
トマト、キュウリ、ピーマン、玉ねぎにおろしたチーズをかけたショプスカ・サラダなどが代表的な料理です。
明治ブルガリアヨーグルト倶楽部では、日本でも食べやすいようにアレンジしたレシピをご紹介しています。是非お試し下さい。
世界中どの国でも、食文化と年中行事は密接な関係にありますが、それはブルガリアでも同じ事。ブルガリアでは昔から、ヨーグルトは健康維持だけでなく、季節の節目を祝う重要な行事に取り入れられてきました。
例えば「聖ゲオルギの日」、この日の食卓には必ずヨーグルトをのせなくてはいけないことになっています。これはキリスト教の殉教者であり、羊飼いと家畜の守護神とされた聖ゲオルギの祭日で、この日から家畜の放牧が始まるため、家畜の健康と豊穣を願い様々な儀礼が行われるのです。
昔は冬の間乳しぼりをしなかったので、家畜の健康と豊饒を祝う5月6日の聖ゲオルギの日が、その年初めてヨーグルトを作る日として、最も盛大に祝われました。この日に初めて搾った乳を新しいスターター(種菌)ではっ酵させてヨーグルトを作り、これを家族全員あるいは村人全てを招いて一緒に食べたのです。
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その1年のヨーグルトの風味が決定する新しいスターターはとても大切です。人々はその日の朝、植物についた乳酸菌をたくさん含む朝露を集めてミルクに入れ、はっ酵させてヨーグルトを作ります。一度おいしいヨーグルトができれば、後はその一部をスターターとして新しい乳に加えていく事で、その一年の家庭のヨーグルトの味が守れます。
ヨーグルト作りは、夏の終わりを告げる10月26日の聖ディニタルの日まで続きます。この日から翌年の聖ゲオルギの日までは作り置いたヨーグルトを食べることになります。
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3月3日はブルガリアの解放記念日。
500年にわたるオスマン帝国の支配からブルガリアが解放された、ブルガリアの歴史の中で非常に重要な日です。
長い間、ブルガリアを含むバルカン半島全域がオスマン帝国によって支配されており、何度も反乱を企てたものの、いずれもオスマン軍に鎮圧されていました。
1877年、地中海への通路獲得のため、バルカンを狙っていたロシアは「オスマン帝国に抑圧されているスラヴ民族の救済」を錦の御旗にして、オスマン帝国に宣戦し、露土戦争が勃発しました。
ブルガリアからも義勇兵7500名が参加し、
ロシア軍はオスマン帝国を撃退、
1878年ブルガリアはオスマン帝国から解放され、
自由を手にしました。
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毎年3月3日にはブルガリアの首都ソフィアの解放者記念像の周辺ではオスマン帝国と戦った人達を追悼する厳粛な式典が執り行われます。
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